数年前に出会った「赤ちゃんを育てている母親たちを励ます詩」。私はこの詩を読みながら、詩が私を包み込み、抱きしめてくれたように感じました。
今回はその詩を紹介します。
ニュージーランドの子育て支援施設に伝わる、詠み人知らずの詩。詩人である伊藤比呂美さんが訳して日本に紹介されました。
※子育て経験のある方、涙腺の弱い方は、ハンカチを用意してからお読みください。
今日(TODAY)
『今日』 (伊藤比呂美 訳)
今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつは
だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう
人に見られたら
なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしてたの? とか
わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした。
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
ほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?
今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって
そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ
涙が溢れ出てきた理由
私が始めてこの詩を目にしたのは、3人目が生まれて間もない、子育て真っ最中のとき。
詩を読んで、胸を打たれ、涙が溢れ出てきたことを思い出します。
あの時、涙があふれ出たのはなぜだろう?思い返してみます。
詩の一節。
「今日1日、何をしていたの?」
幸い、私は周りの人からそう言われたことはありません。
でも、朝起きてからバタバタしているうちに、あっと言う間に夕方が来てしまう日々。
私自身が何度も自分に問いかけた言葉です。
「今日1日、何をしていたの?」
自分でも何をしていた、とはハッキリ言えない。細かくあげればキリがない。とにかく、子供たちのお世話をしていていた。子供たちの小さな小さな要望に一つずつ応えていた。
同時に家事もやりたかったんだけど、思った通りに進まない。
夜ごはんが作れていない、外は暗くなってきたのに、洗濯物は外に干したまま。掃除まで手が回らない…
私、ちゃんと出来てないよね?
落ち込んだり、罪悪感にさいなまれたり。
そんな時に、この詩に出会いました。
この詩は認めてくれている。
ちゃんと出来なかったんじゃないかと落ちこんだ1日も、「ちゃーんとやったわけだ」と。
家事が思うように進まなくても、子供が泣いていたら抱っこしてあげたり、子供が求めてきたら遊んであげたり、ゆっくり子供に寄り添ったりしてあげたり。それが出来ているなら大丈夫だよ、と言ってくれている。
「そう言ってくれて、ありがとう」きっと感謝の気持ちで、涙があふれ出たんだと思います。
世界中の親たちが勇気づけられている
この詩は、世界中の親たちを勇気づけているそうです。
核家族化やワンオペ育児、長時間勤務…そんな言葉を聞くと、なんだか海外の子育てって楽なのかな?なんて錯覚に陥ってしまいます。でも、世界中の親たちがこの詩に勇気づけられているってことは、世界のどんな国に住んでいても、子育ては大変、そして尊いことなんだと感じます。
この詩が、子供が小さくて毎日が大変なすべての親たちに届けばいいなぁと思います。
本もステキですね。
いつか娘が成長し、赤ちゃんを産むようなことがあったら、渡してあげたいと思います。